新潟市 万代商店街と流作場の今昔

流作場・万代商店街
流作場と万代商店街のあゆみ
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商店街と流作場の今昔

●猪股本店
 猪股昭英さん(80)
 私は昭和2年生まれで、先先代の祖父がここに居を構えました。
この万代町通りは、いまでこそシャッター通りと揶揄されるような商店街ですが、かつては「万代町通りに店を出すのが夢」といわれた華やかな時代もありました。それほど、ここは賑やかな商店街でしたよ。
  うちは私で三代目ですが、爺さまはお茶とか煙草など小売りの商いをしていました。けれども親父は小売り部門にはノータッチ。日ノ出町で、青果物の輸出問屋をやっていました。取り扱った物は主に梨でしたね。亀田の在から、酒屋、横越方面まで、その一帯は梨の大産地でしたからね。

  私が子どもの頃は、新潟駅(現在の代ゼミあたり)も近かったですしね。しかも終点でしょ。だから貨車や機関車やらの入れ替えが激しくてね。遮断機が降りると、かなりの間、待たされたものでした。
  踏切のあった場所は、昔の三叉路、いまでいう五叉路のちょっと手前でしょうかね。いまのたいやき屋のあたりに、人だけが通れる、コンクリートの大きな橋がありましたよ。

  次の停車駅にも近いところですから、足の速い人などは、こっち(新潟駅)で汽車に乗り遅れても、沼垂駅まで走っていけば間に合ったものですよ。アッハッハ。
  私の生まれた昭和の初めころ、ここはもう賑やかな通りだったという記憶がありますね。
  うちの脇の道から、現在の明石通りあたりを突き抜けた先に、広い病院跡があってね。そこはどうも伝染病の専門病院だったらしいが…。百メートル四方ほどの盛り土で、周辺はぜんぶ田んぼでしたね。この病院跡が、私ら子どもの恰好の遊び場になってましたよ。

  いまの明石通りの先あたりは、ずっと土手が続いてたと思います。懐かしい思い出がいろいろありますが、周りは田んぼばかりで、まったくの田舎でしたね。

  わが家の離れの脇には、古信濃川の支流が流れてました。現在は小路になっていますが、当時は長嶺小学校の前まで行くと川幅もかなり広くて、釣りをするには良い場所でしたよ。うちから、舟を漕いで鳥屋野潟まで行っては、そこでもよく釣りをしたものです。
  古信濃川の支流の、栗の木川沿いには沼垂警察署がありました。確か警察署長の官舎もそこにあったと思うよ。橋の上に、万代交番もありましたね。

  「流作場」という名前はいろんな場所に使われてましたね。
  うちの前のバス停も「流作場」でした。だけど、昔からどういうわけか、流作場という名称が良い名前というふうには思えなかったね。 しょっちゅう水騒ぎを起こしては作物が流されていたし…。こんな想い出もその理由のひとつかもしれないのだが。
  子どものころ、信濃川の土手が切れたことがあって、よく憶えてはいないが、このあたり一帯も大被害に遭ったと、親父から聞かされたことがありますね。

  さて、この万代町通りですが、昔はいまよりもっと広かったですよ。
  戦時中、道路拡幅にひっかかりましてね。当初、取り壊しが決まってた向かい側に電話線が埋設されていたので、こちら側が削られることになって、歩道分くらい店舗が削られたでしょうか。
  明石通りができるまでは、この通りは国道でした。その後、県道になって、いまは市道ですがね。

  商店街の店舗数がいちばん多かったのは昭和40年代後半、ダイエーのできる前後でしょうかね。でも大規模店建設に目立った反対運動もなかったし、そのころはまだ商店街にも元気がありました。
  その後、ダイエーのある万代地区に伊勢丹進出が決定すると、「ぼやぼやしてると伊勢丹につぶされるぞ」という声が、あちこちから上がり始めました。そのとき、大規模店舗反対の声を止めたのが私。
  「なんだかんだ言っても、いまに大型店に巻かれて、終いには手も足も出なくなるよ」と言ったのです。初めから反対の声を上げると、つぶされる力がもっと大きくなって跳ね返ってくるから、止めた方がいいと思ったわけですね。
  その後、5つの商店会が合併して連合商店会が結成されることになり、万代町通り連合商店会の初代会長を私が引き受けることになりました。

  うちの店は万代中央商店会に加盟してますが、この会の中に、さらにサービス店会があって、実質的にはここが運営の実権を握っていましたね。
買い物の金額に応じてサービス券(商品券)を発行したり、年1回の招待旅行なども人気があったわね。いまから20年ほど前ですが、どこの商店もまだ活気がありましたね。

  中でもいちばん元気だったのが、この一角でしょうね。店が空けば、すぐに借り手のつくような場所でした。けれども残念なことに、どの店にも跡取りがいないんですわ。永い間商売をやってきた店が1つ抜け、2つ抜けするうちに、バタッとお客さんの流れが止まってしまったんですね。 (談)

語る人 猪股昭英さん

語る人 猪股昭英さん


語る人シリーズ

1.流作場
  ■語る人 三社神社:大橋宮司さん
2.流作場の昔
  ■語る人 本間七郎治さん
3.三叉路付近の昔
  ■語る人 櫻井タミヰさん
4.商店街と流作場の今昔
  ■語る人 猪股昭英さん


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